零の日常

切り取った日常や想い。好きな事やイロイロ。気儘に書いていきます。

何が正しいか知らない

 世間一般で言われる正しいと云う価値と、自分の中で判断する間違い以外のものは果たして同じなのだろうかと問われたら、きっと違うと思う。

 

正しいってあやふやな言葉だなあと思う。

仕様もない事を考える時間は割と好き。どうもこんばんは、ヂルです。

 

今日自分がした事は間違っているのかもしれません。

でももう後悔はしない気がしたので間違ってはいないと思う。

半年掛けて考えてきた事だから、きっとそれで良いと思う。

 

次回のシフトで退職したいと、お伝えをしました。

 

今迄のモヤモヤが99%だったとしたら、伝えた事で30%位のモヤモヤになりました。このモヤモヤの正体は分かりきっているので大丈夫。自分次第でどうにかなる。

 

一先ず伝える事が出来たし、一応は内容は受理されていると思う。

木曜日に最終的に話をして決着です。

話をしてと言っても、話す事は何だろうと思ったりもする。家庭の事情を全て話さないと辞められないシステムとかはないと思うけど、それなりの年数お世話になっている分、その辺りを有耶無耶にして退職は出来ないだろうとも思っている。

後は多分事務的な事で、退職届けとか有給消化の事とかその程度でしょうか。

 

先の事を不安に思って居ては、きっとずっと先延ばしにしていればそれなりに過ごせるだろうとは思うのです。でも自分にはスルースキルがなさすぎる。それは今の職場において最も重要な能力だとも思えます。もう解放されたいと願いながら、ぬるま湯に浸かって何となくやり甲斐も感じられなくなって、日々やり過ごすのは止めたい。

 

これから大忙しの時期になってくると云うのに、このタイミングで?と思う自分も居ましたよ。今迄に辞めた人達の中でも自分と同じタイミングで辞める人が居た時には、入ったばかりの人でもそんなに慣れていなくてもいいから取り敢えず人員確保して欲しいと思っていましたから。その位忙しくなる職種ですから。

 

今は人手が結構余っていて、毎月入れる時間数が削られていて…と云う感じですが、これからの時期猫の手も借りたい位になってくるので、入りたくても入れなかった人達はちゃんと入れる様になるでしょうし、逆に自分の様な人はシフトに入れ辛いのでそれでも削られるのだと思います。仕方ないですけどね。一番使える人達を必要に応じた使い方がしたいでしょうから。

 

でも自分はもういいやと思ったのだから、その後の事は考えません。

半年前に辞めると決めた時に引き継ぎのファイルは作っておいておいたし、現責任者の人は自分なんかよりもずっと仕事が出来る人なので、何も心配要らないし。

色んな事を考え過ぎる癖が本当に良くないのだから、決めたらもう後は次の事を考える様にしないと自分は駄目なタイプだと思います。

 

有給が消化出来れば、今回のシフトで実際に出勤するのは最後となり、在籍しているだけと云う形になるので、もう一緒に働けずに終わってしまう人達も居ます。と言うか有給消化だけで結構な日にち残っているので、出勤する日もあって有給は使えない分もあって終わりなんて事になったらちょっと嫌ですけどね。その可能性もない事はなさそうだな…覚悟しておかないと。

 

そんな訳で、「正しい」と云う言葉に違和感を感じながら生きておりますが、何が正しいとかどうするべきとか、誰かの物差しと自分の物差しは違うので、今回の事は俗に言う間違った選択なのかもしれないです。大人として?誰から見て?なんてものの見方が捻くれていますが。

でも自分を騙しながら生きていくのは止めようと決められたのは、しがみつく事で何かを見出そうとしていた頃の自分よりは随分生きやすくなると思います。

それにこの仕事を辞めた事が人生にどう左右するのかとか、人生を振り返った時にしか分からないとすれば、死んでしまったらもう分からないし。死ぬ直前だったとしてもどうにも出来ないし。やっぱり結論は「もういいかな」なので、それで良さそう。

 

それよりも前向きに朝起きて、一日を大切に送れる生活がしたい。

一日も無駄にしない!と思える様に生きたい。

いや、そんな真面目じゃないので「果てしなくダラダラしよう」って日も勿論大切にしたいと思って居ますけどね。そんな日を一日でも早く迎えられます様に。

 

本日もこの様なブログを読んで下さって有難うございました!