零の日常

切り取った日常や想い。好きな事やイロイロ。気儘に書いていきます。

減らしたい気持ち

身軽に生きたいと云う気持ちが年々加速。

それに反して身軽に動けない自分。

 

何事も日々戦いなのですね。どうも、こんばんは、ヂルです。

 

さて10月も終盤。

手帳を書いていましたら、今日で今年が300日目。

今年も残すところ65日らしいです。

あっという間に終わりそうですね、今年も。

 

大掃除に向けて、みたいな特集とかチラホラ見掛けます。

年末慌てない為に計画的に進めましょうと云う様な言葉を。

 

そうね、やっと休みだ~と今年の終わりを迎える直前迄掃除に勤しむなんて絶対に嫌です。まあこの数年年末年始とか世間がお休みでも、1月2日には仕事でしたから、自分にはあまりお正月感と云うものもなかった気がしますが…。

 

掃除は計画的にやるのが良い。

これは正にそうだと思うんですが、自分にはそれすら面倒なんです。

計画性がない性分なのもあると思いますが、基本何事も前倒しでやっておきたい。

ですが、掃除には前倒しなんて言葉は通用しないし、そもそも一年で一年分の掃除をする感覚と云うのが自分には耐えられない。少々潔癖だったりもする。(少々かな?)

掃除って毎日してもすぐ汚れますよね。気にして見てしまうともう本当にすぐです。

それを溜め込んで一気にやると云うのが自分には苦痛です。気づいたら、目に付いたらやってしまえばちょっとの時間で終わる。毎日ちょっと気を付けるだけで大掃除と意気込む必要はないかと思うと、その毎日の少しに時間を掛ければ面倒な事から開放されて楽になります。

なので自分は年末に必ずやる大掃除は玄関のみです。

 

何故玄関かと言いますと、出掛ける時も帰って来る時も見送って迎えてくれる場所という感じがするので、大事にしたい場所だなと思っているからです。普段も結構気にして玄関掃除はしていますが、敢えて年末最後に何処か一箇所やっておくなら玄関と云う感じでやります。毎年そんな感じ。

 

そう、そんな感じなのは良いんですけど話が書きたかった事から少々ズレてきています。気付いているんですが方向修正出来ず、本題に入る迄が長いなあ。文章力なくてすみません。

 

それで「減らしたい気持ち」なんです。

何かですね、昔はゴチャゴチャした部屋が好きだったんですよ。

壁はポスターやフライヤーで埋め尽くして、棚とかには容赦なく物を置いたり飾ったり。物が多いのが好きと云うよりは見た感じ落ち着かない部屋が好きでした。それこそライブハウスみたいな部屋にしたかったです。

 

そんな風に思っていたのに、最近めっきり何もない空間が落ち着く様になってきました。玄関の下駄箱の上だけはひでちゃんコーナーにして派手にしてますが、其処もこの間ずっと飾っていた造花の薔薇達を撤去しました。

 

テレビ台の上とかも随分減らしたけど、Wi-Fiのとか、電話とかリモコンとか充電器関連の物がまだある。これらも目につくのが鬱陶しいのでどうにかしたいなと思っています。リビングのテーブルの上はティッシュケースのみが理想。今は色鉛筆が無造作に立ててある缶が置いてあります。これはさっさと自分の机に戻せば良いだけか。

失敗したなと思っているのは、リビング用のテーブル。デザインが素敵と思って買ったのは良いのですが、ガラスだから傷付き易いし、物も丁寧に置かないとガチャガチャ煩い。そして何よりテーブルの下に一段あるこの棚が余計な物を置く習慣になってしまうのが自分にとっては質が悪い。自分が悪いんですけどね。置かなきゃ良いだけなのに、テーブルに広げたい物があるとすぐペッと下の棚に置いてしまうから。ついついをやってしまうので、始めからなければ良かったなと後悔しております。後この棚の所為で地味に足をぶつけてしまう。立ち上がる時とか。その時の音もやたら耳障り。(短気ですみません)

 

目につく処だけに飽き足らず、捨てられる物や売れる物はないかと最近「無くしていく行為」に楽しみを見出しております。断捨離とかそういうつもりではないんですが、ミニマルに暮らせたら良いなと思う様になりました。そんなお洒落な言葉遣ってはみたけれど、単に物を持つ事が面倒を生み出すなら減らしたいと云う気持ちです。

 

断捨離は入ってくる余計なものを断つ、不要なものは捨てる、物への執着から離れるみたいな感じでしたっけ?だとしたら一定の物への執着は凄まじいので当て嵌まらないし、ミニマリストと呼ばれる人達の定義はよく知らないのですが其処迄徹底して暮らそうと思っている訳でもないです。只、単純に掃除の手間を省きたい。余計な物が視界に入っていちいち其処に反応するのは辞めたいという気持ち。

 

思い出の品物とかも大事にとっておくタイプでしたが、この頃はめっきり処分していく事が多いです。写真等のデータ管理が出来るものだと良いですけど、物質的なものは難しかったりしますけどね。少し前迄は小学一年の時の文集とかもありました。まだ学生の時ならまだしも、もうその頃の自分の事なんて「眼鏡を掛けるのが嫌だった」事しか覚えていないんですよ。しかも中2で転校してしまったので、誰が誰か分からない名前が圧倒的に多い。もういいやと思って捨てました。あんなに「絶対捨てないもの」としてずっと持ち続けていたのに、それって別に「絶対に捨てたくないもの」と云う訳ではなかったんですよね。懐かしんでる時間もないのに、懐かしいものボックスみたいな物に入れて引っ越す度に何となく持ち続けて居ただけ。

小1の時の物があると云う事は、そう、学生時代のそういった関連の物は全てあったと云う事なのですよ。でもそれこそ転校した中学の思い出なんてサッパリないので全然持っておく必要なんてなかったですし、自分が一度きちんとそれに向き合って見てみると「何で捨てなかったのか」が見えてきて、不要と判断する事が簡単になるのかもしれません。中学時代に記憶をタイムスリップさせてみた→結果楽しくなかった事を思い出す必要はない、みたいな気持ちが出てこれば、もう中学時代の物は全てなくても平気になれます。(捨ててしまったら二度と戻ってこないので、想い出がちゃんとある人は勢い余って捨てちゃわないで下さいね)

 

自分は視界に色々入ってくるのがとてもストレスなんです。

 ストレスになってきたと言うのかな?

時間があって余力があって、気持ちにも余裕があってと云う状況ではないから、視界にあるものだけでも余白を多く持って居たいと思ってしまうのかもしれません。

なので自分は減らしたい欲求が来たら早々に捨てモードです。

この頃そんな感じでどんどん物を捨てています。

見境なしに捨てても自分は割と後悔しないんだなと思いました。

一部の物については捨ててしまうのは薄情かなと思う物もありましたが…。

 

自分の生活に必要でない物を置いておく必要はないですよね。

 今後使えるかもと思ったらその時買えば良いし。いつ来るか分からない使えるかもしれない物を持っておくのは、結局いつになって使わない確率が高いなと思います。

 

何にせよ物が少ない部屋は掃除も楽です!探しものも少なくなるし。

迷ったら捨てるって大事だなと思います。

捨てるって意外と体力も気力も奪われますしね。

物は大事にするのが一番だけど、自分が大事にしてあげられなくなったなと感じた時にはササッと手放すのが良いと思います。愛着湧く前に。執着する前に。 

 

そんな感じで減らしたい気持ちと云うタイトルで、自分の捨てたい欲の話(掃除したくない話?)を書いていったのですが、一定のものへの執着は凄まじいと書いた通り、全てが全てに物欲がないとか減らしたいなくしたいと云う気持ちではありません。

それがわざわざブログでカテゴライズする程自分が手放せないもの、です。

手帳関連(文具関連)と音楽ですね~。手帳に関して言えばカバーとか替える時は今迄の物を売ったりとかはしますよ。でも使ってみないと自分に合うか分からないので、最初に揃える物は一度で多くあったりします。それも合わなければ譲ったり売ったりして手元には残しません。文具は例えばペンとかなら相性が悪ければ、使い切る迄それしか使わない様にして早く使い切る事を目指します。

 

しかし音楽は難しいですね。自分はCDやALを借りる事はないんですが、買う事が多いんですよ。結構な膨大な量になっています。全て買った状態で保管していたのですが、震災等がよく起きる様になってから少し考え方が変わりまして、ケースは捨ててファイリングして保管する事にしました。地震とかでバサーっと倒れてきてしまってケースが割れたりとか考えると怖いなと思ったので。

あとは機材関係のもの。これらが置いてある部屋は掃除して片付けをしても捨てることがほぼない部屋にまとめています。こちらはまた後日「減らしたいもの」とは真逆のものとしてご紹介出来たらと思います。

 

 今回も長くなってしまってすみません。

皆さんは物の管理や掃除ってどうされてますか?部屋へのこだわりや譲れない部分とかありますか? 是非教えてください(^^)